ビー&ビーイタリア(B&B ITALIA)とは

ビー&ビーイタリアは、モダンなデザインが特徴の歴史ある家具メーカーです。イタリアらしいユニークでアヴァンギャルドなデザインから、オーソドックスでベーシックなデザインまで、幅広い研ぎ澄まされたデザインが魅力です。 イタリアンファニチャーというと、カッシーナやアルフレックスが王道として名前が挙がりますが、それに対して絶妙なポジションにいる玄人寄りのブランドといったイメージ。あえて王道からそらしている小粋さがブランドの魅力と言えるでしょう。
ビー&ビーイタリアは、日本では高級輸入家具の印象がありますが、国際的に名だたる一流デザイナーを抱えていることが特徴で、さらにブランディングを高め商品の 魅力をアップし続けています。有名なシリーズは、匠の技術が光る”artona”、素材や形が斬新な”upシリーズ”などです。 なお、C&Bと表記されている商品は、現在のB&Bの前身ブランドのロゴです。

ビー&ビーイタリア(B&B ITALIA)代表デザイナー

アントニオ・チッテリオ
ANTONIO CITTERIO
アントニオ・チッテリオは1950年、メーダに生まれました。1972年にデザインオフィスを設立し、1975年にミラノ工科大学の建築学部を卒業しました。1987年から1996年まで、テリー・ドゥワンと共同でヨーロッパや日本で建築物のデザインを手がけました。1999年、パトリシア・ヴィエールとアントニオ・チッテリオ・アンド・パートナーズを設立。このオフィスでは、高い専門能力を持つコンサルタントによる質の高いネットワークとの相乗効果を生み出しつつ、あらゆる規模の総合施設を開発する長期的プロジェクトを国際レベルで手がけています。扱っている分野としては、都市計画、住宅用と商業用の複合建築施設、生産設備、公共建築物の保存的再構築、及び、作業用、事務用、ショールーム、ホテルなどの空間計画があげられます。
また、一時的なイベントや展示会といった企業広報やプロジェクトの分野でも積極的に活動しています。数多くの国内外のデザイン・コンペティションに参加し、UNI EN ISO 9001:2008認証も取得しています。2009年9月には、名称を「アントニオ・チッテリオ・パトリシア・ヴィール・アンド・パートナーズ」に変更しました。現在、アントニオ・チッテリオは、工業デザイン分野で活動しており、アンソルグ、アルクリネア、アクサー・ハングローエ、B&B ITALIA、フレックスフォーム、フロス、フュジタル、エルメス、イッタラ、カルテル、MAXALTO、サニテックグループ、テクノジム、トレピュ、ヴィトラなど国内外の企業と協働しています。1987年と1994年に、アントニオ・チッテリオはADIによるコンパッソ・ドーロを受賞しています。
2006年からは、メンドリジオ建築アカデミー(スイス)にて建築デザインの教授となり、2008年には、ロンドンの英国王立芸術協会よりその功績を称えられ、王室工業デザイナーの称号を授与されました。また、文化財・環境保護省(現:文化財・文化活動省)が設立したイタリア・デザイン・カウンシルのメンバーにもなっています。

 

アフラ・アンド・トビア・スカルパ
AFRA AND TOBIA SCARPA
アフラ・ビアンチンは1937年にモンテベッルーナで、トビア・スカルパは1935年にヴェネチアで生まれました。
ヴェネチア建築大学を卒業した彼らは、後にその名を知られることとなるデザインチームを組み、最も成功を遂げることになります。1958年には、ガラスで有名なムラーノ島のヴェニーニ社の工房で制作を始め、1960年にガヴィーナ社とソファ「バスチアーノ」や金属製のベッド「ヴァネッサ」を開発しました。これらは彼らの作品のうち最も成功を収めたものであり、現在ではノル・インターナショナル・コレクションの一部となっています。
また、カッシーナ社では、住宅用の家具のデザインを行い、アームチェアの「ソリアナ」が1970年にコンパッソ・ドーロ賞を受賞、またアームチェアの「925」がニューヨーク近代美術館のパーマネントコレクションに選定されるという素晴らしい業績をとげています。1960年、カスティリオーニ兄弟と共にデザイナーとして照明器具メーカーであるフロス社に参加しました。彼らのビー&ビーイタリアの作品の中で最も知られているのは、「コロナド」と「エラスモ」の二つです。また初期のマクサルトでは、コレクションの全てをデザインしていました。
スティルドムス社のために手がけた「トルチェッロ」システムは、現在でも市場に流通しています。
モルテーニ社ではベッドの「モルナ」、ユニフォー社ではオフィス用家具のマスターシリーズをデザインしています。
また彼らは、ヨーロッパおよびアメリカにおけるベネトンの宣伝イメージも担当しました。
建築では、同じくベネトンの毛織工場とポンツァーノにあるベネトンのオフィス社屋、スカルパ自邸、アーバノ・テルメにあるロレンツァン邸をデザインし、ビラ・ミネッリやトリエステのフラジャコモ邸を改修しました。彼らがデザインしたプロダクトは世界の主要な美術館に展示されており、あらゆる大規模な国際的展示会でも選ばれています。

 

アトリエ・オイ
ATELIER OÏ
アトリエ・オイは、1991年にスイスのヌーヴヴィルに、オーレル・エビ(1966年生まれ)、アーマンド・ルイス(1966年生まれ)、そしてパトリック・レイモンド(1962年生まれ)という3人により設立されました。アトリエ・オイという名前は、ロシア語のトロイカ(tr(oi)ka:3人組)という言葉の中心部分から切り取ったもので、このチームのコンセプトと力強さを表現しています。建築会社やデザイン会社での経験とアルベルト・サルトリスを始めとするユニークな人々との出会いが、チームの作品に影響を与えており、1つのテーマを発展させることのみに注力するのではな
国際的な建築、デザイン、舞台設計といった現場での展開を見せるようになっています。アトリエ・オイは、2001年ヨーロピアン・ミュージアム・オブ・ザ・イヤー、2003年のiFデザイン賞、2007年には、Die Besten Revue Hochparterre(スイス)、2007年リビング・アット・ホーム・アワード、2008年アーキテクチュアル・レコード誌のプロダクト・オブ・ザ・イヤー(米国)など数々の賞を授けています。
メンバーたちはカンファレンスやデザイン審査への参加にも招待され、ECAL(スイス、ローザンヌ美術大学)のデザイン学部で教鞭も取っています。
分野横断的なアプローチ、チームワーク、そしてアトリエ内に試作品のための独自のセンターを構えていることからもわかるように、素材との密接な関係が、アトリエ・オイの哲学を際立たせています。こうした運営方法は、彼らの成果にそのまま反映されており、多くはデザイン段階での直観的、情緒的な関係に起因しています。多様なプロジェクトが絶え間なく変容していく中で、それぞれ適切な解答にまとまっていくのです。
実験と深く結びついたこのプロセスがアトリエ・オイの作品の持ち味と言えるでしょう。

 

ウヴェ・フィッシャー
UWE FISCHER
1958年、ドイツ生まれのウヴェ・フィッシャーは、オッフェンバッハ造形大学で工業デザインを学び、1985年にギンバンドデザインを設立しました。その後、10年の間に、一連の実験的なデザインを展開しました。
1993年にはフランクフルト・アム・マインに自身のスタジオをオープンしました。そのウヴェ・フィッシャー・スタジオが生み出す多様なテーマのデザインは、とりわけ建築やデザインが関係する問題への興味や好奇心からインスピレーションを得ています。恒常的に協働している制作者たちは、この2つの研究分野をルーツに持っています。コンテンツに対するオープンマインドで一貫した態度は、作業方法の特徴にも反映されており、基本的にさまざまなデザインに関わるすべての人々との対話に基づいています。彼のスタジオは自らを、サービスを提供する会社というよりもワークショップに近いと考えています。1993年、ウヴェ・フィッシャーは、ニュルンベルグの美術アカデミーに教師として迎えられています。

 

ヴィンセント・ヴァン・デュイセン
VINCENT VAN DUYSEN
ヴィンセント・ヴァン・デュイセンは、1962年、ベルギーのロケレンで生まれました。1985年に建築家としての資格を得るとすぐに、
シンツィア・ルジェリやアルド・シビックと共にミラノのソットサス・アソシアティで働き始めました。1990年、自身の建築スタジオをベルギーのアントワープに設立。
現在、そのVincent Van Duysen Architectsでは15名の共同制作者を抱え、多くの専門分野を持つチームで、ベルギーのみならず、ロンドン、ミラノ、パリ、ニューヨーク、ベイルート、サウジアラビアなど幅広くさまざまな種類の業務を手掛けています。インテリア、プライベートレジデンス、アパートメント・コンプレックス、オフィス、ショップユニットなどの建物の改装や新規建築に携わっており、空間への個々の認識に細心の注意を払うことを基本的な哲学としています。
その他にも、建築家であるデュイセンは、もっと小さなオブジェのデザインや家具の提案でも知られており、多くの世界的リーディングカンパニーが彼のデザインしたプロダクトを制作しています。今までに受賞した数々の賞に加えて、2009年にヴィンセント・ヴァン・デュイセンは、パリのメゾン・エ・オブジェ見本市にて「デザイナー・オブ・ザ・イヤー2009」を受賞しました。彼の作品はたびたび一流の出版物に引用され、特集された単行本もあります。1冊目は2001年スペインのGGエディトリアルから、2冊目は2011年にテームズ・アンド・ハドソンからそれぞれ出版されています。

 

エットーレ・ソットサス
ETTORE SOTTSASS
エットーレ・ソットサスは1917年、オーストリアのインスブルックに生まれました。1939年にトリノ工科大学の建築学科を卒業し、1947年、ミラノにスタジオをオープン。建築とデザインのプロジェクトを開始しました。制作プロジェクトの他に文化的活動にも注力しました。
エットーレ・ソットサスは、ミラノトリエンナーレに複数回参加し、イタリアや海外でグループ展や個展も開催しています。1958年、オリベッティのデザインコンサルタントとして始まった同社との協力関係は30年以上続き、そのデザインでゴールデン・コンパス賞を3度受賞しました。
他にも、1959年にはイタリア初のコンピュータをデザインし、その後、周辺機器やプラクシス、テクネ、ヴァレンタインといったポータブルな電子タイプライターをデザインしています。英国の大学で長きにわたる講義シリーズを終えた後、1976年にロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートより名誉学位を授与されました。賛同者や友人、世界的に有名な建築家らとともに、
1981年にメンフィス・グループを結成すると、それは瞬く間に新しいデザインや現代的なアヴァンギャルドの指標を象徴するものとなりました。
その後ソットサス・アソシエイツ・スタジオを設立し、デザインや建築活動に力を入れました。彼の作品やプロジェクトは、ニューヨークの近代美術館、メトロポリタン美術館、パリのポンピドゥ・センター、装飾芸術美術館、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館、モントリオールの装飾芸術美術館、エルサレムのイスラエル美術館、ストックホルムの国立美術館など、世界的に有名な美術館に常設展示されています。

 

エドワード・バーバー アンド ジェイ・オズガビー
EDWARD BARBER AND JAY OSGERBY
世界的に評価の高いデザイナー、エドワード・バーバーとジェイ・オズガビーの二人は、英国のロイヤル・カレッジ・オブ・アートを卒業後、1996年にロンドンを拠点にスタジオを設立しました。彼らの活動は多くの領域にわたり、ヴィトラ、ビー&ビーイタリア、カッペリーニ、ヴェニーニ、フロスなどのコレクション、公共機関からの委託、ギャラリー作品に見られるように、工業デザインのみならず、建築、アートの境界に挑んでいます。
バーバーとオズガビーは、王室工業デザイナー(RDI)であり、2004年には名誉あるジャーウッドアプライド美術賞を共に受けています。芸術学で名誉博士号を持つ2人は、国際的な講義も行なっており、彼らの作品はロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館、ロンドンのデザインミュージアム、シカゴ美術館をはじめとして、世界中の美術館のパーマネントコレクションに加えられています。
2011年4月、リッツォーリから、「エドワード・バーバー&ジェイ・オズガビーのデザインワーク(The Design Work of Edward Barber & Jay Osgerby)」が出版され、そのすぐ後に2012年ロンドンオリンピックのトーチのデザイン担当に抜擢されました。彼らの最新のプロジェクトは、2013年のロンドン地下鉄150周年を記念する硬貨のデザインです。

 

ガブリエル・アンド・オスカー・ブラッティ
GABRIELE AND OSCAR BURATTI
建築家のガブリエル・ブラッティは、ミラノ工科大学デザイン学部のインテリアデザインの教授でもあり、同じく建築家のオスカー・ブラッティとブラッティ+バッティストン・アーキテクツを設立しました。
彼らの事務所は、個人、商業、産業用の建物、古い歴史を持つシティセンターに関するプロジェクト、複合施設の再構築に携わり、イタリア内外でオフィス、店舗、アパートメント、別荘、また様々な展示会プロジェクトをデザインしています。世界的に有名なランジェリーのイタリアのブランド、ラ・ペルラのブティックイメージ担当にも指名され、世界の重要都市にある同ブランドの店舗をデザインしています。また、ミラノのマリーカフェ(バリラグループ)の本店をデザインし、製品提案に対する新しいコンセプトを開発しました。彼らは「ベルガモ産業連盟」の新しい本部もデザインしています。
プロダクトデザインの分野では、アントニオ・ルピ、ビー&ビーイタリア、アントニオ・フラッティーニ、エフェッティ、イ・グッチーニ、テクノ、ヴァリ&ヴァリなどのブランドと協働しています。彼らはロカの革新的な衛生陶器W+Wをデザインしましたが、これは洗面台と便器を一体化させたものです。
アチェルビス・イタリア(オートバイ用品)では、ミラノ、パリ、ケルン、ミュンヘンでの展示会のデザインを担当し、店舗の企業イメージを開発しました。
ランボルギーニのファッションおよびアクセサリーラインの新しいコンセプトストアと、サンタアガタ・ボロネーゼ(イタリア)の本社にあるランボルギーニ博物館の改修にあたり、そのデザインを担当しました。シルベロックスおよびドミナとの協力によるガレージドア、玄関ドア、室内ドアのデザインは非常に重要なものであり、展示会におけるブースやショールームも担当しています。ハスクバーナ・モーターサイクル(BMWグループ)では、新しいコンセプトストアのプロジェクトを実施し、カッシネッタにある新しい本社内のショールームとハスクバーナ博物館をデザインしました。2010年ウォールペーパー・デザイン・アワード、2009年デザイン+プラス・アワード、2010年ベストEDアワード、2009年FXデザインアワード、2009年KBBプロダクト・イノベーション・アワード、2011年第22回コンパッソ・ドーロ特別賞、2011年シルバー・デルタ・アワードなど、ブラッティ+バッティストン・アーキテクツは、数多くの国際的な賞を獲得しています。

 

ガエタノ・ペシェ
GAETANO PESCE
1939年、イタリアのラ・スペツィアで生まれ、ベネツィアで教育を受けたガエタノ・ペシェは、建築、インテリアデザイン、グラフィック、フィルムなど複数の分野でその名を知られています。建築では、パリのウビン・アパートメント(1986年)、大阪のオーガニック・ビルディング(1990年)、ベルギーのノッケ・ル・ズートのギャラリー・モーマンス(1994年)、ニューヨークのシューマン邸(1994年)、広告代理店TBWA/CHIAT/DAYのオフィス(1994年)、リール美術館のガラス記念碑のデザイン要素(1996年)をはじめとして、数多くのプロジェクトを実現しています。建築家としての評価は、工業デザインや家具の分野での大胆な実験の上に築かれていますが、これには、現在では象徴的な存在となっているビー&ビーイタリアの「アップシリーズ」や、テーブル、ランプなどの開発があげられます。ビー&ビーイタリア、カッシーナ、ヴィトラインターナショナルといった有名な家具メーカーとの長期的な関係に加えて、ガエタノ・ペシェは、ニューヨークでフィッシュ・デザインとオープン・スカイという会社を立ち上げ、消費者市場に向けて家庭用にデザインしたオブジェ、照明、ジュエリーを開発及び製作しています。ガエタノ・ペシェの作品は、ニューヨークの近代美術館、
メトロポリタン美術館、サンフランシスコ近代美術館、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館、パリの装飾芸術美術館、ポンピドゥーセンター、モントリオールの装飾芸術美術館、カナダ建築センターなど、世界的に名高い美術館のパーマネント・コレクションに数えられています。1996年にはパリのポンピドゥーセンターにて回顧展が催され、その功績が称えられました。

 

クリス・ホーカー
CHRIS HOWKER
クリス・ホーカーは1964年、英国に生まれました。イースト・サリー大学の美術デザイン学科を卒業後、王立芸術大学で修士号(デザイン学修士)を取得しました。1998年、デイヴィッド・チッパーフィールド建築スタジオで働き始め、その後、ロンドンのユナイテッド・デザインで世界中の高級ホテル向けのインテリアをデザインするとともに、工業デザイナーとしてバスルーム用家具、
布製の室内装飾品、インテリアやその装飾品のデザイン分野でプロジェクトを展開しました。現在、彼は家具の構成要素やインテリアデザインにおいて有力なデザイン会社と協働しています。

 

ザハ・ハディッド
ZAHA HADID
ザハ・ハディッドは、常に建築と都市デザインの限界を超えようとしている建築家です。彼女の作品は、都市の規模からプロダクト、家具、インテリアに至るまであらゆるデザイン分野を包含する視覚的な美を追求しており、都市の既存の景観を強調する新たな空間コンセプトを試みています。
彼女の大規模なプロジェクトとしてよく知られているのが、ヴィトラの消防署、ランド・フォーメーション1、ベルクイーゼルのスキージャンプ台、ストラスブールのトラム駅、シンシナティのローゼンタール現代美術センター、ライプチヒのBMW中央ビル、マドリッドのホテルプエルタ・アメリカ(インテリア担当)、コペンハーゲンのオードロップゴー美術館の増築部分、ヴォルフスブルグのファエノ科学センターなどです。そうした中で彼女が重要視しているのは、実践のみならず教育と調査、研究に同時に関わっていくことです。彼女は1972年から英国の建築協会付属建築学校(AAスクール)で学び、1977年にディプロマ賞を受賞しました。そして、レム・コールハースの主宰するメトロポリタン・アーキテクチャ(OMA)のパートナーとなり、
AAスクールでレム・コールハースやエリア・ゼンゲリスらと共に教えています。その後、1987年までAA内に自身のスタジオを開きました。
その後、ハーバード大学の大学院で丹下健三についての講義を、イリノイ大学シカゴ校建築学科ではルイス・サリヴァンについての講義を担当し、ハンブルグ造形美術大学、オハイオのノウルトン・スクール・オブ・アーキテクチャ、ニューヨークにあるコロンビア大学のマスターズスタジオで客員教授を務めています。
さらに、アメリカ文学芸術アカデミーのメンバー、アメリカ建築家協会(AIA)のフェローでもあり、2002年には大英帝国の勲章コマンダーを授与されています。
オーストリアのウィーン応用美術大学の教授であり、コネティカット州ニューヘイブンのイェール大学では建築デザイン学でエーロ・サーリネン客員教授を務めています。

 

ジャン・マリー・マッソー
JEAN-MARIE MASSAUD
1966年、フランスのトゥールーズで生まれたジャン・マリー・マッソーは、1990年にENSCI(国立創作工業高等大学)を卒業しました。工業製品から家具までさまざまなデザインに関わっている彼のアプローチの流れは、個人が議論の中心となる本質の追求に注目しています。作品は感覚、不思議な力、生き生きとした感情の探求に支えられています。これまで、彼はイタリアの高級家具メーカーなどで働いてきました。数々の受賞歴を持つ彼の作品はアムステルダム、シカゴ、ロンドン、リスボン、パリ、チューリッヒといった美術館にコレクションされています。
また彼は、こうしたプロダクトデザイン活動を続ける一方で2000年にスタジオ・マッソーを設立し、ダニエル・プゼットと共に建築プロジェクトである個人邸を日本の福岡に設計しています。彼らは共に世界のモーターショーでルノーのブースを作りあげ、アメリカ、オハイオ州コロンバスではモダン・オブジェのコンセプトストアのような商業施設も手掛けています。
フランスでは、ニースのヒップ・スパのアイディアを生み出し、現在はランコム(化粧品)やポルトローナ・フラウのブランドイメージを世界中で作り出しています。
その他、世界的な建築プロジェクトとして、メキシコ、グアダラハラの5万人収容のサッカースタジアムと2棟のコンドミニアムタワー、フランス、パリの高級ホテル、ニューヨーク、トライベッカのコンドミニアムビルなど大規模な投資がされているプロジェクトに携わっています。

 

ジェフリー・バーネット
JEFFREY BERNETT
1995年9月、ジェフリー・バーネットはスタジオBを立ち上げ、幅広いデザイン分野でプロジェクトを創出し、促進するための原動力としています。
1996年5月、ニューヨークの国際現代家具見本市(ICFF)にて、バーネットは、「制作のためのアイディア」と題した初の家具の装飾品/オブジェのコレクションを発表しました。このデザインは1996年の「ベスト・デコラティブ・アクセサリー」コレクション部門でエディターズ・アワードを受賞しました。2000年5月のICFFにおいて、バーネットは、他の5名のデザイナーと共に、米国のメーカーであるデューンと協働する「最優秀新人デザイナー」として名を挙げられました。バーネットは、インテリア・アーキテクチャー、家具、家庭用品、照明、
ファッション・アクセサリー、グラフィックデザイン、企業のイメージングおよびアート・ディレクションなど、多くの分野で活躍しています。
デザイン市場のグローバル化が進む中で、バーネットは、ヨーロッパのクライアントと協働し、さらに米国市場で存在を確立させることができた初めてのアメリカ人デザイナーとなっています。現在のクライアントには、ビー&ビーイタリア、ボフィ、カッペリーニ、デューン、エスティー・ローダー、Hidden/sdb、マイケル・コース、リーン・ロゼ、トロイなどが名を連ねています。ジェフリー・バーネットは、下記の出版物などでも世界的に広く特集されています。アビターレ、カーサ・アビターレ、デザイン・ディフュージョン・ニュース、ドムス、エル・デコ、ハウス・ガーデン、インテルニ、イントラムロス、メトロポリタン・ホーム、ニューヨークタイムズ、オッタゴーノ。加えて、バーネットは、米国のデザインスクールの客員講師も務めています。

 

スタジオ・カイロス
STUDIO KAIROS
スタジオ・カイロスの一人、ジュゼッペ・マネンテは、1947年、イタリアのメストレ(ヴェネチア)で生まれました。
ヴェネチアの工業デザイン上級コースに通った後、1972年にヴェネチア大学で建築学士を取得しました。1973年からは建築を手掛け、公的および民間施設の土木建築や産業建築に携わってきました。もう一人のアブラモ・ミオンは、1951年、イタリアのミラーノ(ヴェネチア)に生まれました。
パドヴァ大学工学部で学び、その後1974年にヴェネチア大学建築学部で学びました。当時、家具会社のデザインスタッフの1人であった彼は、その頃から建築の内部に関心を持っていました。カイロスとは古代ギリシャ語で、正しい地点、正しい場所、正しい角度を意味します。
古代ギリシャにおいて、それは何かを運営したりデザインしたりする方法を定義する概念でもありました。例えば、家を建てるべき正しい場所を選択することであり、同時に建築を始める正しい時が来るまで待たねばならない時間のことでもあります。場所と時間の組み合わせが生み出すこのバランスこそ、カイロスが手掛ける新しいプロジェクトに取り入れようとしているものなのです。受賞歴は、大変輝かしいもので、1984年に、ビー&ビーイタリアのために制作したワードローブシステム「シサモ」がコンパッソ・ドーロ賞。1987年には、ダダ向けに制作したキッチン「フーツラ」とドロミテ向けに制作したスキーブーツがまたもやコンパッソ・ドーロ賞。1989年には、ビー&ビーイタリア とハーマン・ミラー向けに制作したオペレーティブ・オフィスシステム「アバック」がコンパッソ・ドーロ賞。
1994年ビー&ビーイタリアのために制作したワードローブシステム「ヴェランテ」がコンパッソ・ドーロ賞。 1998年、ビー&ビーイタリアのために制作したスライディングドアシステム
「アトランテ」がコンパッソ・ドーロ賞。 1998年には、またもビー&ビーイタリア向けに制作したリビングシステム「パブ」もコンパッソ・ドーロ賞に輝いています。

 

デヴィッド・チッパーフィールド
DAVID CHIPPER FIELD
1953年、ロンドンに生まれたデヴィッド・チッパーフィールドは、ロンドンのキングストン芸術学校と英国建築協会付属建築学校で学びました。
卒業後、ダグラス・ステファン、リチャード・ロジャース、ノーマン・フォスターなどイギリスを代表する建築家の事務所で働き、1984年にチッパーフィールド自身の事務所を設立しました。現在、そのデヴィッド・チッパーフィールド・アーキテクツはロンドン、ベルリン、ミラノにある主要オフィスと上海の代表オフィスに180名以上のスタッフを抱えています。チッパーフィールド・アーキテクツはこれまでに、40以上の国内外のコンクールで優勝し、その優れたデザインによりRIBA(王立英国建築家協会)、RFAC(王立芸術委員会)、AIA(アメリカ建築家協会)
による賞を含む多くの国際的な賞や表彰を受け、2007年にはRIBAのスターリング賞も受賞しています。デヴィッド・チッパーフィールドは、1993年にアンドレア・パラディオ賞、1999年にハインリッヒ・テッセナウ金賞を受賞しています。2004年にはフィレンツェ芸術デザインアカデミーの名誉会員となり、建築への貢献が称えられ大英帝国勲章のコマンダー(CBE)の称号が贈られました。2006年には王室工業デザイナー(RDI)に選ばれ、2007年にはアメリカ建築家協会(AIA)の名誉会員、ドイツ建築家協会(BDA)の名誉会員となっています。2008年にはロイヤルアカデミー会員(RA)に選ばれ、キングストン大学より名誉博士号を授与されました。

 

ドーシ・レヴィエン
DOSHI LEVIEN
ドーシ・レヴィエンは、国際的に評価の高いデザインスタジオであり、デザイナーのニパ・ドーシとジョナサン・レヴィエンによって立ち上げられました。
ニパはインドで育ち、チャールズ&レイ・イームズの提唱により設立された国立デザイン研究所で学びました。ジョナサンは、高級キャビネットの制作を学んだ後、工業デザインの道に進みました。2人は英国のロイヤル・カレッジ・オブ・アートで出会い、ロンドンのスタジオで10年以上にわたり共に働いています。
ニパとジョナサンの作品には多くの世界観が表現されています。ニパのアプローチは彼女が過ごしてきた複数の生活環境と、視覚文化への鋭い洞察力に根ざしています。
ジョナサンのアプローチは、工業的な精密性を素材への深い理解や職人の技が持つ感受性に結びつけることから生まれます。
領域や業界を超えて生み出されるドーシ・レヴィエンの作品は、異種の掛け合わせであることを称え、文化、技術、工業デザイン、そして熟練した匠の技の一体化を探求しているのです。彼らは業界のリーダーであるモローゾ、クヴァドラ、ビー&ビーイタリア、カッペリーニ、カンペール、スワロフスキ、ギャルリー・クレオ、また、美術館や文化施設向けにも作品を作り出しています。
2008年、ニパとジョナサンはニューヨークのクーパー・ヒューイット国立デザイン美術館から名誉あるフューチャー・レジェンド・オブ・デザインを贈られました。基調講演のスピーカーとして招待されたり、国際的な講義や重要なデザインの審査を行ったり、また母校であるロイヤル・カレッジ・オブ・アートで教鞭をとったりしています。彼らの作品はニューヨーク近代美術館(MoMA)、クーパー・ヒューイット国立デザイン美術館のパーマネントコレクションや重要な個人コレクションの一部になっています。2012年のケルン国際家具見本市では主賓となり、「ダス・ハウス」プロジェクトを初めて披露しています。2013年、2人はベルギーのグラン・トルニュ美術館のメイン展示「エブリデイ・インディア ン・オブジェ」のキュレーター兼デザイナーとして招待されました。

 

マリオ・ベリーニ
MARIO BELLINI
マリオ・ベリーニは、世界的に有名な、建築家兼デザイナーの一人で、とりわけコンパッソ・ドーロは8回も受賞しており、またイタリア共和国大統領からの金メダル授与を含む名誉ある数々の建築賞を贈られています。世界の優れた文化センターで講演を行い、またドムスの編集者も務めました。彼の作品は、主要な美術館のコレクションで見ることができ、彼の個展を開催したこともあるニューヨークのMoMAは、パーマネントデザインコレクションに25ものベリーニの作品を選んでいます。ベリーニの名をつけた数え切れないほどの展覧会がイタリアの国内のみならず外国でも
開かれています。1980年代からミラノのポーテロ見本市センター、コモ湖のヴィラエルバにある展示センター、日本の五反田にある東京デザインセンター、米国のナツッジアメリカの本社、ドイツのエッセン見本市、メルボルンのビクトリア国立美術館などの大規模プロジェクトのデザインを手掛けています。
現在進行中のプロジェクトには、イタリアにおける公共図書館としては唯一の例となるトリノの新文化センター、ミラノのブレラ美術館の改修と刷新があります。
現在建設中の建築としては、パリのルーブル美術館の新しいイスラム美術部門(ペイによるガラスのピラミッドに続く2つ目の現代建築プロジェクト)、フランクフルトのドイツ銀行本社の大規模な改装、ヴェローナの新ヴェローナフォーラムコンプレックス、ボローニャの新しいボローニャ市博物館、ジェノバの科学技術パーク、ヨーロッパで最大となるミラノ見本市(ポーテロ)の新しいミラノ・コンベンションセンターがあります。

 

マルセル・ワンダース
MARCEL WANDERS
マルセル・ワンダースは、オランダのボクステルで育ち、1988年、アーネム美術学校を優秀な成績で卒業しました。
現在は、スタジオを所有しているアムステルダムで工業製品のみならず、建築プロジェクト、インテリアデザインにも携わっています。
彼のスタジオでは、モーイ(彼がアート・ディレクターを務めています)、ビサッツァ、ドローグ・デザイン、フロス、マンダリーナ・ダック、ビー&ビーイタリア、ヴィトラをはじめとする国際的に優れたブランドの製品やインテリアをデザインしています。ワンダースは、2005年の国際デザイン・イヤー・ブックの編集者を務め、ロッテルダム・デザイン賞(彼自身の製品も何度もノミネートされています)、コー・リアン・リー賞など、様々な賞の審査員でもあります。サンフランシスコMoMA、リム・ギャラリー、デザイン・アカデミー、ナイキ、
国際家具デザインフェア(IDFA)、フューチャー・デザイン・デイズで講演を行い、多くのデザイン・アカデミーで教えています。
マルセル・ワンダースの幅広いデザインは、ニューヨークやサンフランシスコの近代美術館、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館、アムステルダム市立近代美術館、ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館、ユトレヒト中央博物館、コペンハーゲン装飾芸術博物館など、世界中の多くの重要なデザインコレクションや展覧会に選ばれています。

 

モニカ・アルマーニ
MONICA ARMANI
建築家でデザイナーのモニカ・アルマーニはイタリア、トレントで生まれました。現在ではトレントとミラノを行き来しながら活動しています。
彼女はプロとしてのキャリアを父親であり、合理主義的な建築家でもあるマルチェロ・アルマーニのもとでスタートしました。
彼女は父親からデザインや建築のプランニングに対する情熱、ディテールへのこだわり、新しいアイディアを探求する意欲といったものを受け継いでいます。
1996年、ルカ・デルベッタと共にテーブルを中心にした家具プロダクトシリーズ「プロゲット1」の制作を開始し、大成功を遂げました。
これは極めてシンプルでかつ革新的なシステムのデザインを特徴とし、コンテンポラリーデザインの家具の世界でモニカ・アルマーニというブランドを確立するものとなりました。
彼女のプロジェクトは、フォーマルな美的感覚、革新性、工学技術がユニークで、その際立ったスタイルに命を吹き込み、工業デザインと、建築、インテリア・デコレーションの領域との間を絶えず行き来して結びつけるのが特徴です。
この結びつきによって、照明からファサードに至るまで、あるいは内部のゾーニングの区分からプラント設計における機能の解決策に至るまで、革新的で具体的なソリューションと共にスペースの意外な使い方が生まれています。
厳格な幾何学的配置がいつも彼女のプロジェクトにインスピレーションを与えます。同時にシンボルがもたらす負担から空間を自由にする必要があります。
「より少ないことは、より豊かなこと」これはミース・ファン・デル・ローエの名言の1つですが、彼女自身を説明するものでもあります。
モニカ・アルマーニは、プロジェクトをクリーンにする作業、つまり「ディテールを合わせること」あるいはあらゆる側面のバランスを探し求めることが、現代的であると同時に時を超越した「空間」を作るために不可欠なステップであると信じています。

 

パトリシア・ウルキオラ
PATRICIA URQUIOLA
パトリシア・ウルキオラは1961年にオビエド(スペイン)で生まれ。現在はミラノに在住し、活動しています。マドリッド工科大学の建築学科で学び、アキーレ・カスティリオーニの指導のもと1989年にミラノ工科大学を卒業しました。1990年から1992年まで、ミラノおよびパリでアキーレ・カスティリオーニ、エウジェニオ・ベッティネッリの助手を務めました。1990年から1996年までは、デパドヴァの新製品開発室に勤務し、ヴィコ・マジストレッティと共に働いています。
1996年にはリッソーニ・アソシアティのデザイングループの責任者となりました。2001年には、彼女自身のスタジオを立ち上げ、プロダクトデザイン、建築、インスタレーション等、さまざまな領域を手掛けています。最近の建築プロジェクトとしては、バルセロナのマンダリンオリエンタルホテル、プエルトリコのWリトリート&スパ-ビエケス、ウディネの別荘、モンテヴェルディのオペラ「ポッペーアの戴冠」の舞台美術、エルメス、ジャンヴィト・ロッシ、フロス、モローゾ、H&Mのショールームやインスタレーション、ピッティ・イマジネ・フィレンツェの総合コンセプトなどが挙げられます。
また、アガペ、アレッシ、アクサー、ビー&ビーイタリア、バート・デザイン、ビザッツァ、BMW、ボサ、ブドゥリ、シュヴァリエ・エディション、イル・コッツォ、デパドヴァ、デヴェッキ、エミュー、ファセム、サルヴァトーレ・フェラガモ、フロス、フォスカリーニ、グラス・イタリア、カルテル、クヴァドラ、ミキシング・メディア、モーリス・ラクロア、リヴィート、ピーター・マベオ、モローゾ、ムティーナ、オリヴァリ、パナソニック、パオラ・レンティ、ローゼンタール、シャンパン・ルイナール、サン・ロレンツォ、トロンコーニといった非常に重要なイタリアおよび海外企業のデザインを手掛け、ホンダやLGのコンサルタントも務めています。
彼女の製品は、ニューヨーク近代美術館(MoMA)をはじめとする国際的な美術館でパーマネントコレクションとして展示されています。
国際的な賞や表彰を複数受けており、なかでも、スペイン政府からは芸術功績金賞2010を授与され(2011年)、A&Wマガジンのデザイナー・オブ・ザ・イヤー2012の候補にもなりました。

 

深澤直人
NAOTO FUKASAWA
深澤直人氏は1956年、山梨県に生まれました。多摩美術大学の工業デザイン学部を卒業後、企業内デザイナーとして時計を含む超小型デバイスのデザインに従事しました。
1989年、深澤氏は米国へわたり、アイディオ(IDEO)に加わりますが、これは、当時の日本人そして工業デザイナーとしてかなり稀なことでした。
その頃、シリコンバレーはコンピュータテクノロジーによる急成長の最中にあり、深澤氏は主にシリコンバレーの企業のコンピュータや電気機器、医療機器そして家具やスポーツ用品のデザインに携わりました。1996年、日本に戻り、アイディオ(IDEO)の東京オフィスを設立し率いることになりました。
そして2003年には、Naoto Fukasawa Designを設立します。工業デザインに対する深澤氏のアプローチは非常に独創的で、彼の「頭で考えることなく」「行動の中に溶け込むデザイン」という考えは世界的な支持を集めています。深澤氏はデザインの目的として、デザインにおける完全性に到達したシンプルさを達成することが、ユーザー、対象物、そして環境との間の調和した関係を構築する方法だと考えています。
こうした考え方を「輪郭」という言葉でも説明しています。輪郭とは対象物、人々、そして環境との間の関係の境界を定義するものという意味です。
現在、深澤氏は彼の小さなチームと共に東京を拠点として、多くの国際的なリーディングカンパニーと協働しています。
2007年に名誉ある王室工業デザイナー(王立芸術協会)の称号にふさわしいとされたように、国際的な賞を数多く受賞しています。
深澤氏は21_21 デザインサイトのディレクターの1人でもあり、また無印良品のデザイン・アドバイザリー・ボードメンバーとしても活動しています。
日本では、Gマークで有名な「グッドデザイン賞」の審査委員長を務めています。彼は武蔵野美術大学の教授、多摩美術大学の客員教授、経済産業省戦略的デザイン活用研究会の委員でもあります。

 

パオロ・ピーヴァ
PAOLO PIVA
1950年にアドリアで生まれたパオロ・ピーヴァは、1968年に視覚分野の研究を専門としてヴェネチア建築大学で学び始めました。
1970年、ウィーン市で開催されたコンペティション、「ウィグ74」に向けたプロジェクトに関わり、またモデナ市のレジスタンス記念碑に関する別
のコンペティションにも参加しています。ヴェネチアの国際芸術大学に通い、1970年以降、主に工業デザインに関心を寄せるようになります。
1973年、ヴェネチア建築大学でカルロ・スカルパ教授に師事し、マンフレッド・タフーリ教授の指導を受けた「ウィーン、
1918年から1934年(vienna from 1918 to 1934)」という論文で学位を取得しました。グラッツ、レッツォフのインターナショナル・ペインターズウィークにも
招かれています。1975年にはヴェネチアの歴史建築研究所で働き、ウィーンの応用芸術アカデミーと共同で、
社会主義の時代のウィーンを題材にした大規模な展覧会を組織しました。これが1980年にローマで開催された「赤いウィーン(red vienna)」
という名の同様の展覧会にも繋がりました。マンフレッド・タフーリと協働して彼は、この展覧会のカタログも作成し発表しています。
1980年には、カタールのクウェート大使館のデザインを依頼され、1981年には複数のアパレルチェーンのインテリア・ディスプレイを手掛けています。
1983年には、ロスアンジェルスのパシフィック・デザイン・センターで客演講師を務めました。1985年にパリのシャルル・ジョルダンの本社、
1986年にヴェネチアのパレス・レーメの改修に携わっています。1988年からは、ウィーンの応用芸術アカデミーの准教授、1991年からは教授を務めています。
工業デザイン分野では、ヨーロッパおよび米国のさまざまな企業と協働しています。

 

フランチェスカ・サイメン
FRANCESCA SIMEN
1963年、ミラノに生まれたフランチェスカ・サイメンは、ミラノ工科大学の建築学部を卒業しました。ミラノ建築家協会のメンバーであり、現在もミラノに住み、活動をしています。1990年、アントニオ・チッテリオ・アーキテクトで働き始め、2003年までの長期間にわたる協力関係をスタートしました。
彼女はチッテリオの事務所で、インテリアを専門とし、ヨーロッパ、米国、アジアの至るところで住宅、ファッション系ストア、イベント展示を手掛け、プロジェクトの監理を行いました。2003年、ステファノ・ガリッツィオーリと共同制作を開始して、ANG42を設立しました。
この事務所はインテリア・デザインを専門とし、イタリア内外で住宅向けおよび商業向けのプロジェクトに従事しました。
ステファノ・ガリッツィオーリとのパートナーシップにより、インテリア・建築と工業デザインにおける経験を1つにまとめながら、建築空間からカスタムメイドの家具デザインまで、プロジェクトに対してブロードバンドなアプローチを行うことが可能になりました。
彼らのビジネスの中心となっている多くのプライベート・レジデンスのデザインに加え、オフィスや医療施設の分野でも、いくつかの主要な作品を残しています。
2006年には、アイルランドのダブリンにも事務所を立ち上げました。彼らの主な重要作品には、ダブリンにあるアイルランドの世界的食品企業本社の新社屋、トロントやミラノのオフィス、カリブ海の西インド諸島マスティク島にある2つの別荘、サルデーニャ島、ブリュッセル、ロンドン、米国サンディエゴの住居などがあります。最近では、アテネにあるタトイ・クラブのクラブハウスのインテリアデザインと家具、および屋外エリアを完成させました。
ここは、ラウンジエリア、レストラン、バー、スパ、各種のレジャーアクティビティを備え、スポーツ、食事、フィットネスを楽しめる会員制のプライベート施設です。

 

ヤコブ・ワグナー
JAKOB WAGNER
1963年、コペンハーゲンに生まれたヤコブ・ワグナーは、デザイン工学で最初の学位を取得しました。
コロラド、ミラノ、パリでのスタディとインターンシップの後、1992年、スイスのアートセンター・ヨーロッパにて工業デザインで2つ目の学位を得ました。1993年、コペンハーゲンに自身のスタジオを立ち上げ、最初の10年はスポーツ用、プロフェッショナル、およびメディカル用のハイテク製品を取り扱っていました。ワグナーは、徐々に家庭用品に目を向け始め、アレッシイ、バング&オルフセン、メニュー、ムート、ステルトンといったブランドの製品やビー&ビーイタリアの家具プロジェクトへと範囲を広げることとなりました。
ワグナーの作品は、国際的に展示され、多くの賞を受け(レッド・ドット・デザイン賞3回、IFデザイン賞2回、ブンデスプレイズ、デザイナー・オブ・ザ・イヤー等)、ニューヨークの近代美術館でもパーマネント・コレクションに加えられています。彼のスタジオでは、認識するのは簡単でも、理解するのは難しいものに挑戦することによって、私たちの思考と感覚の両方に挑むような、実体のある意味深い製品を作り出すことを目指しています。
ワグナーが目標としているのは、私たちの感情に訴えかける自然な美しさを内在し、使うときに喜びを与えてくれるような製品づくりなのです。

 

ロベルト・バルビエリ
ROBERTO BARBIERI
ロベルト・バルビエリは、1942年にミラノで生まれ、ミラノ工科大学の建築学科を卒業しました。1970年から1975年までに、大学、ミラノ・トリエンナーレ、その他、家具協会が主催する家具や生活空間の分野の展覧会に複数参加しました。
1980年からは、建築およびデザイン分野で活動し、教鞭も取っています。デザイナーとしては、モビレッフェ、イザモビリ、モローゾ、レーマなど複数の企業と協働してきました。ここ10年は、ザノッタで働いています。

 

ニコール・アビジャー
NICOLE AEBISCHER
1980年、スイスのフリブールで生まれたニコール・アビジャーは、2004年にローザンヌ美術大学(ECAL)で工業デザインの学位を取得しました。
ECAL在学中にアトリエ・オイと協働しており、彼女の作り出した「パイロン」スツールは、2004年にランゲンタールのデザイナーズ・サタデー、2003年にミラノのサローネ国際家具見本市、そしてローザンヌの現代デザイン応用芸術美術館で発表されました。このスツールは、中国の上海、北京およびヴァレンシアで開催された展覧会「スイス・デザイン・ナウ」でも展示されています。家具をベースに、その他のプロジェクトでもB&Bイタリアとの協力関係を続けています。2002年、ボディショップのパッケージング制作でD&ADスチューデント・アワードの大賞を受賞しています。これにより、ロンドンのジョーンズ・ノウルズ・リッチー事務所でのインターンシップに参加することになりました。学位取得後は、ローザンヌのブレッド&バターで働いたり、オスロのノルウェイ・セイズで半年間のインターンシップに参加したりしています。またアビジャーは、グラフィックデザイナーとしても活動しています。

ビー&ビーイタリア(B&B ITALIA)のソファーの特徴

ビー&ビーイタリアのソファーの特徴は、高級感のある素晴らしいデザインもさることながら、部屋に置くだけでインテリアの主役となれる圧倒的な存在感とエレガントさにあります。イタリアン家具らしいヴィヴィッドなカラー展開もありますが、しっとり落ち着いた日本の家や建築にも合うモノトーンカラーがバリエーションの中心です。
一見、奇をてらったように見える個性的なデザインも、座り心地が細かく計算された研究の成果が活かされた技術の1つ。日本人も属する世界的に有名なデザイナー集団による緻密な計算によるデザインです。
ビー&ビーイタリアは、毎年売上の数%を必ず技術研究にあてていると言われる家具メーカーで、そのソファーはデザインの美しさだけではなく、耐久性を含めた”商品力”のあるプロダクトなのです。
シンプルな中にあるキラリと光るクオリティの高さ、そして、生活感を感じさせない美しいフォルムで、世界でもファンの多いビー&ビーイタリアのソファー。多少価格が高くても、座り心地抜群で上質なたたずまいのソファーを自分へのご褒美に!と考える方にぴったりです!

ビー&ビーイタリア(B&B ITALIA)買取品目

アイリーン(EILEEN)
アルネ(ARNE)
アルマ(ALMA)
アンディ(ANDY)
グランデ パピリオ(GRANDE PAPILIO)
コロナド(CORONADO)
サーフェス(SURFACE)
シェルフ X(SHELF X)
シエナ(SIENA)
ジーン(JEAN)
ジョージ(GEORGE)
セブン(SEVEN)
セリエアップ2000(SERIE UP 2000)
ソフトウォール(SOFT WALL)
ソロ(SOLO)
タフティタイム(TUFTY-TIME)
タフティベッド(TUFTY-BED)
チャールズ(CHARLES)
チャールズ(CHARLES)
チャールズラージ(CHARLES LARGE)
チューリップ(TULIP)
ディーシズ(DIESIS)
デジタブル(DIGITABLE)
ニックス(NIX)
ハリー(HARRY)
ハリーラージ(HARRY LARGE)
ハンズ(HANS)
バンボーレ(LE BAMBOLE)
パイロン(PYLLON)
パピリオ(PAPILIO)
パブ(PAB)
ピッコラ パピリオ(PICCOLA PAPILIO)
ファットソファ(FAT-SOFA)
ファットファット(FAT-FAT)
フランク(FRANK)
フランク(FRANK)
ベンドソファ(BEND-SOFA)
マート(MART)
ムーンスタイル(MOON STYLE)
メトロポリタン(METROPOLITAN)
メランドラ(MELANDRA)
ランドスケープ(LANDSCAPE)
リンク(LINK)
ルイス(LUIS)
レイ(RAY)
レイジーナイト(LAZY-NIGHT)
レイジィ(LAZY)

brand高値買取ブランド一覧

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